美とオーディオ

  オーディオとは、非連続な非日常の劇場型コンサートのような場を日常の場に置きかえた極めて人工的なものだ。芸術の変換と捉えることもできる。美から美への変換とも言える。それゆえに逆説的だが、オーディオは美を貶める堕落の始まりでもある。それを堰きとめるため、自分にとってある意味日常の非日常化への挑戦と捉えている。

  これは、己の日常の理性による反省的思惟の内的な非日常空間再現の場づくりとも言えよう。少々大げさになるが、バタイユ的にいえば、「此岸にとどまりつつ、彼岸を欲望する」と、言うくらいの見通しを立てたいと願う。非連続な日常において、レコードをかけるという儀式によって、その中に凝縮されている情報に、歴史的連続性を感じたいのである。情報を芸術に変換する、それは非常に高度な作業である。情報とは知識である。しかし、それを受け止める我々人間が知識として捉えている間は、これを芸術としては認識しないであろう。それが情報としての知識と、幾多の経験としての知識が新たに結合し、西田幾多郎が言うところの「根底において知識ではなくあらたなる感情」が生まれるということだと思う。本来それが芸術性なのではないだろうか。

  そのような感情と共にスピーカーを前すると、レコード中に切り取られて眠っている50年前の空気に触りたいという衝動に駆られるのである。
それは、クラシックコンサートに行く時のような、身も心も引き締まり、正装に近い服装に身を包むような場とかけ離れている。緩んだ心身と普段着の状態においてさえ、非日常化をもたらしてくれるような緊張空間の再現、「物が人を制御する。」という場と空間が現れるのである。それがゆえに、人が物に託す思想というものが必要なのだ。オーディオは芸術の美の部分、つまり理性による物作りではあるが、実は理性を越えたところの人の心との対話であり、西田幾多郎的にいえば、自身に対象界を構成する内面的作用たる「純粋経験」そのものと言えよう。
  このようにオーディオの芸術は、非連続を連続に変える純粋経験による感情の創造物なのである。


エミュージュ代表 小川 尚登

 

 

 

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