無音という場
〜「CDの音の背後の暗さ」「アナログレコードの音の背後にある暗さ」〜


 私はここ1年、CDを聴くことに傾聴している。「何を今更、20世紀末のデジタル到来の20数年前のような時代観を言っているのか。」と、皆さんの声が聞こえてきそうだ。勿論20年以上前からCDプレーヤーは持っていたし、何台も買い換えた。しかし、ノスタルジックに言うがごとく、私はアナログを追及し続けていた。そしてこれからも、その姿勢は大きな幹として持つのだろうと思う。

 それが先ほども書いたが、ここ一年程アナログレコードはあまり聴いていない。ステレオサウンド誌で紹介されているハイエンドのCDプレーヤーの音は、ハイエンドショーやオーディオショップ、友人宅で聴かせてもらっているので一応は理解しているつもりである。直近の新製品がどれだけイノベイティブな進化を遂げているかは深く理解しているわけではないが、私が認識している音創りの延長だと考えると、私の古いながらもモディファイし続けているCDプレーヤーはそのハイエンド近くにいるのではないか、と勝手に認識している。

 つまり、冒頭の「暗さ」、言い換えれば表層の影の音が聴ける、見え隠れするようになってきていて楽しいのだ。CDからこのような音が聴けることに驚きさえ覚えている。真っ暗だが時間の経過とともに眼が慣れてきて、周囲の環境が見えてくるような暗闇なのか、否経過しても何も見えない漆黒の空間なのか。
やはり「耳で見る」という感覚まで研ぎ澄まされた「音と音のあいだ」の静けさと暗闇を求めているのだろうと思うのである。それが再生できるデジタル音源からの再現性を追求しているのだ。言い換えればそれが「触れる音」なのかもしれない。空間性の再現はかなりのレベルまできたと思う。それは、いわゆる倍音の感じられる音空間である。ただし、まだ追及したアナログのような一つ一つの微細な音が耳への到達時間の差となって感じられなく、極端な言い方になるが塊(団子)となって飛び込んでくる感覚が残るのは事実である。

 これは、CDの録音技術や音源そのものが音の塊から脱するほどのレベルに達していないものが多いのかもしれないし、私のCDプレーヤーを中心としたシステムのレベルがアナログシステムに達していないのかもしれない。達していないことは認めつつも、もう少し進化させるべくデジタルに精神を傾け続けたいと思う。
そのためにも、逆説的な行為になるが、今日明日は思い切ってアナログのシステムを(長い間聴いていないので、時間をかけて調整して)あえて聴いてみようと思う。

 18世紀のフランスの哲学者ヴォルテールは「善の最大の敵は最善である。」と言う。所詮人間たる我々が目指す音創りも絶対というものは無く、相対でしかないのだろうと思うからである。試行錯誤しながら一歩ずつ深められれば良いと願うのである。その一歩ずつという実感を得ることがオーディオをする我々にとって至福を味わうこの趣味の趣味たる所以なのだと。アナログとCDがポリフォニーのごとく二つの主旋律となって奏であって欲しいと思う日々である。

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今回新たに東芝製6GB8を主力管とするパワーアンプ(写真)を制作しました。単に出力管をテレフンケン製等からこの管に交換して造ったというものではなく、回路を徹底して見直し、新たな挑戦をしたものです。そのために出力トランスは既成品ではスペックとして適合するものがなく、別注までしました。電源周りも見直し、一般では見られない回路にすることで、上記で書かせていただきました静けさが、以前のものより一段深められた音の背景・暗さを表現することが出来るようになりました。
是非一度ご視聴して頂きたく完成のご報告とこの音に触れていただきたく、ご連絡をお待ち申し上げます。


エミュージュ代表 小川 尚登

 

 

 

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