おのずから思惟する音づくりなるもの

 今年の夏も暑い日が続いている。昔は日照りが少なく、東北地方の農作物に冷害をもたらしたりしたこともあるが、近年は熱暑の夏が続いているような気がする。昔から夏とは暑いものだったが、特に最近はより強く暑さ感じるのは私だけではないはずである。かつ日本の夏は暑い上に、湿度が本当に高い。私は仕事上色々な国へ行く機会は多いが、気温だけだと40度を超える場所は幾らでもある。あまりの暑さに、その太陽の光に押されるくらいの熱風を感じたりもするが、一歩日陰に入ると、とても過ごしやすい。それは湿度が低いためか、肌に熱が絡まないのだ。
 このげんなりする日本の夏の湿気だが、これが日本人を世界でも「観たる文明」のひとつに押し上げた要因だと感じている。以前も述べたが、人間は不快なことに対してはとても敏感だ。そして快なことにも敏感ではあるが、この快とは時間が立つと普通な状態になる。それは人間の脳が快を普通に保つのではなく、思考停止な状態に貶める厄介なものだと感じるからである。日本はその普通な状態が続かず、逆にそれが利点と思ってよいと思われる。それは日本に四季があるからだろう。桜は、満開の花びらの散る瞬間が最高の味わいではあるが長続きしない。秋の紅葉もしかりだ。厳しい夏も、厳冬の雪の不快も、ある時期がくれば快な季節に変わる。しかしすぐにまた不快な季節もやってくる。これが日本人の無常観である。これが我々日本人の強さなのかもしれない。不快を快に変え、普通になると、また不快がやってくるという意識である。そういう意味で日本人とは自然に育まれていると言っても過言ではないだろう。
 自然と言えば農業であるが、ちょっと目を離すと作物が雑草や虫で育たなくなる。自然とは、人間には及びもつかない雑念たる状態を好むものだ。それを克服する知恵が、やがて機械化や化学による生産性アップ、雑草・虫類を駆除する仕組みを確立し、創意工夫していったのだろう。
しかし、そこには自然に育まれたという概念はなく、自ら自ずから然らしむものに対し、対峙していった精神性がある。これは二宮金次郎の精神と言えるかもしれない。そして昨年大震災に直面し、発達した文明といえども自然の猛威の前に畏敬の念を抱かざるをえない状況を目の当たりにした。原発もしかりである。雑草や虫ともいかにして共生していくか、が突き付けられた深い問題である。農業として生活していくことと文明に生きることは矛盾する課題も多々あるが、その生き物と今後どのように関わっていくかがとても大事な概念だと痛感する。それゆえに、宗教的な儀式や祭りが必要だとも言えるのである。
 そんな中での「音」についても、頬を洗う「風」や触れる「土」でさえ地上5メートルの感覚として傍観するのではなく、触らなければ感じることはできない、この当事者感覚がとても大事なのだと思うのである。
その湿気を含んだ風や土の感触からしか本当の日本の風土に合ったアンプは生まれない。音とはそんな触る感覚のつくり込みがとても大切である。その汗と奏者や肉声の叫びとが一致した時に、珠玉たるザラつき感のある本物の音が生まれるのだと確信する。敏感な不快が快に変換する瞬間だ。奏者と聴き手である我々との時空間を超えた対話ができた瞬間と言えるだろう。この「今」という大事な時間を双方が場の共有が出来ているそのゆったりとした何事にも代えがたい経験を純粋に味わいたいと願う。
 ある意味到達したと言える瞬間を経験しながらも、次の瞬間には、まだまだその域にまで達していないと悟り、その思惟の新たな発見を意識し、超える音をみつめていきたいとエミュージュは考えている。
 

エミュージュ代表 小川 尚登

 

 

 

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