歴史に触る未来への音

文明のいたずらだろうか。
我々の耳(脳) の感受性は、不快に対して拒絶しやすく、
ますますその傾向が強まっている感すらある。
また、快に対しては心地よさもあり、安易に受け入れがちだ。
その証拠にほんの一例だが、オーディオにおけるハイエンドの世界にも映像が入り、
音に対する探求は疎かになってきている。
何としたことか、ipodまでもが浸食しつつあるではないか。

私は硬派なのかもしれない。
そのことを鎌倉時代の禅僧である、大燈国師の和歌の力をお借りして文脈を整えたい。

「耳に見て眼に聞くならば疑わじ
おのずからなる軒の玉水」

耳で見る、目で聴くという少し不思議な感覚かもしれないが、
軒から落ちる自然の雨水の音を捉える自身の心のありようを詠ったものだろう。

まさにオーディオとは、スピーカーから出る音から
その演奏や肉声を感じられる心と我々が聴く心との対話であろう。
つまり「音」を通じて心と心が対話するプロセス、それ自体が目的なのである。
まさしく哲学そのものだ。
レコードを通して聴く録音された音楽はもはや歴史の一場面でしかない。
一枚一枚のソフトは、単なる断片でしかない。
それをオーディオ装置がタイムマシーンとなって歴史の探求を行い、
断片と断片をつなぎ合わせてくれるのである。
そのつなぎ合わせる力量は我々にかかっているのだが。

我々は今という時間しか生きられない。
その瞬間、瞬間の連続でしかない。
今しか生きられないからこそ、そのような音の歴史の旅が必要だと思う。
その音を通して未来へのパスポートとなり
我々に「心の栄養」をもたらしてくれるのだ。
このエミュージュの装置は、「心の栄養」を探求する知的な哲学の旅であり、
歴史的な芸術作品と同じ価値のある「一即多」の世界観なのである。

そう容易い旅ではありませんが、
是非ご一緒に音哲学の深遠な旅に出かけてみませんか。


エミュージュ代表 小川 尚登

 

 

 

emujuのつぶやき

OCT 2014 new!!
美とオーディオ
JUL 2014
無音という場
MAY 2014
新たなるemujuパワー
APR 2013
本質なる音
OCT 2012
蓄積された20年
SEP 2012
効率性と透明性を疑う
AUG 2012
おのずから思惟する音づくりなるもの
JUL 2012
インターフェースなる音空間
JUN 2011
絶対的相対主義…でも絶対的な深みは必要なオーディオ
JAN 2011
歴史に触る未来への音